黒い穴

眠れないので。

『黒い穴』

「実を云うと月くん、このホテルの地下には黒い穴があったんですよ」
 至って真面目な顔で竜崎が云うので僕も真面目な顔で「ふーん」と感心した素振りをみせてやる。
 竜崎は突飛な話が好きだ。しかも大半は冗談と銘うった嘘なのだが、何でもあの真顔で云うものだから嘘か真か判別がつかない。それで僕は竜崎の云うことは全て話半分に受け取ることにした。平均をとれば少なくとも大きな失敗はない。
 今回もそんなものだろうと考えていたら、竜崎が相変わらず真顔で「見てみたいですか」と云い出したので僕は意表をつかれてしまった。あるのか。
 まあこの建物自体も建築されたばかり、気まぐれで有名なLが何年か前に興味を持って関与していてもおかしくはない。
「面白かったので私も多少出資しました」
「……そうだと思ったよ……だけどどうせこのホテルを建てるときに埋めたんだろう」
「いいえ、埋めませんでした」
「埋めろよ」
 穴を埋めないでどうやって基礎工事をしたのだろう、考えるだけで恐ろしい。一方の竜崎は僕を見詰めて妙に生き生きしている。よほど僕に見せたいのか。暇な奴だな。
「よければこれから見に行きませんか」
「遠慮しておくよ」
「見に行きましょう」
「断る」
「……」
 竜崎は一瞬俯いてすぐに顔を上げた。動きがオルゴールの人形のようで気味が悪い。お化け屋敷でのバイトなら向いていそうだ。
「じゃあ今から寝室に入って私とセックスと云うのは」
「死ぬより嫌だ」
「……。残念です」
 いじいじとケーキを突つく様子が気持ち悪くて堪らない。折角のケーキをぐちゃぐちゃにしているようにしか見えないが、かなりのスピードで元はケーキだった物体は姿を消していった。皿が空になると同時に竜崎の視線は僕の手付かずの皿に移っている。僕が仕方なく頷いてやれば、あっと云う間に僕の皿もカオスになってゆく。
「……さて、ケーキのお礼と云ってはなんですが、月くんが聞きたがっていた穴の話でもしましょう」
「聞きたくな」
「穴はどこまでも広がっているかのように見えました、私はただ眺めているだけなのに今にも呑み込まれそうな心持ちになったのをおぼえています」
「竜崎」
「その穴の奥底にはきっとまだ氷河期の氷が残っているに違いありません、だっていくら手探りしても何も見えないんです。永遠の夜がそこにありました。巨大な空虚に呑み込まれる、呑み込まれてゆく、あれは何だったのでしょうか」
 そこまで話して竜崎は僕をじっと見つめた。
 真っ黒な穴。底は見えない。手を幾ら伸ばしてみても何処にも届かず、闇だけが静寂をはらんで静かに深い。背中を押されもしないのに穴に落ちてゆきそうな気がして脂汗を浮かべる。何が底で待っているのか。
 昏い冥い黒い穴。
「それはお前のつくり話だろう?」
 静かにきけば、竜崎はあっさりと頷いた。
「はい、全て嘘です」
 僕はその答に満足して微笑む。
「じゃあ今から寝室に入って僕とセックスというのはどうかな」
「いい提案です、月くん」

おわり。