今日は肩の力を抜いて

今日はいっぱい書いてますね。気分がいいからかな〜。

『回遊水槽』

 大学へ向かう電車の中、不意に自分の中の動力が抜け落ちていることに気が付いて、月はふらりと下車した。
 行く先はなく、大学へ行く以外の用もない。自分の速さでゆっくりとホームを歩く月をスーツの群れが追い越してゆく。時間に追われる歩調から外れてみると、人ごみの中でただ一人孤立している自分がいる。
「……どこへ、行こうか……」
 独り言はあまり云わない。しかし孤独に押されて声が滑り出た。その呟きを聞く人など居ないことが一層月をからっぽにする。
 人の流れに沿ってゆっくり歩いてゆく。まだ授業には間に合う。解ってはいたけれど、月は流されるまま他の路線に向かった。違う電車に乗り込んで、端の席に座る。ビジネス街とは反対方向へ向かう路線は、この時間帯随分空いている。
 かたん、と発車する揺れを感じながら、月は黙って窓の外を眺めた。向かいの席に座るスーツの女性が眠っている。彼女もこうしてあてどなく電車に乗っているのだろうか。
 電車が止まる度に何人かが降り、何人かが乗車した。三つほど駅を過ぎた頃に向かいの女性も目をさまして電車を降りていった。平日の昼近く。乗客は少なく、月は流れる景色を見ている。
 新たに乗り込んできた男が月の二つ隣に座った。この車両に乗客は月を含めて十人もいない。正面を見たままでは男の顔は見えないが、どうやら彼は酷い猫背のままシートに凭れもせずに座り、居心地悪そうに爪を噛んでいるようだった。
「……降りないのですか」
 男が座ってからから半周もしただろうか。最初に自分が居た駅が流れさってゆくのを眺めていた月は、男の言葉にすこし驚いてから微笑んだ。
「目的がないんだ」
「そうですか」
 規則的な振動が心地いい。視界の端にうつる男の白い長袖のシャツに、陽光がぽたぽたと滴っている。
 月も男も無言のまま、緩いカーブの向こうに再度最初の駅が近付いている。ホームに滑りこむようにして停車するのに合わせて、月は静かに席を立った。
「退屈だったんですね」
 男が小さくそう云った。月は「そうだったかもしれない」と、やはり囁くように返して電車を降りた。
「捜査本部で待っています」
 お互いを見ないまま電車は発車して、円を描いてくるくるとまわる。月は午後の授業に出席するべきであったことを思い出し、今度こそ大学へ向かう電車を選んで乗り込んだ。